相続の承認・放棄
相続が開始した場合、相続人は、その意思にかかわりなく被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継するとされています(民法896条本文)。
しかし、被相続人の相続財産が債務超過である場合、その詳細が不明な場合、相続財産の有無にかかわらず他人の財産を承継することを希望しないという場合もあります。そこで、このような相続人の意思を尊重するため、民法では、相続財産を承継するか否かに関連して、単純承認、相続放棄、限定承認という3つの制度を定めています。
他方で、相続人の意思の尊重といっても、相続においては、相続人以外の利害関係人が存在します(被相続人の債権者が典型です)。これらの利害関係人からすると、相続人が相続財産について、どのような選択をするのかを速やかに決めて貰いたいところです。
この点を考慮して、民法では、単純承認、相続放棄、限定承認は、相続人は自己のために相続の開始があったことを知った時から3ヶ月以内に行わなければならないとしています(民法915条1項本文、熟慮期間)。なお、3ヶ月という期間では、相続人が意思決定をすることが難しい場合には、熟慮期間の延長の申立を家庭裁判所に行うことができます。
(1)単純承認
単純承認とは、無限に相続人の権利義務を承継することをいいます(民法920条)。「無限に」というのは、後述する、限定承認が承継した相続財産の範囲でのみ責任を負担するという意味で責任が「有限」であることとくらべると分かりやすいと思います。単純承認の効力が生じた場合、相続人が被相続人の積極財産と消極財産の全てを承継することが確定しますので、例えば、相続した資産で負債を支払きれない場合は、相続人は、相続した財産以外の自己の財産から負債の支払をしなければならないということになります。
相続人は被相続人の財産に関する一切の権利義務を包括して承継する(民法896条本文)ことからすると、単純承認は、不確定的に生じていた相続の効果を確定させるものです。このようなことから、民法の制度設計としては、相続の効力を受け入れるための積極的な行為というものを特に要求せず、3ヶ月の熟慮期間内に限定承認又は相続放棄をしなかった場合は、単純承認をしたものとみなすとされています(民法921条2号、法定単純承認といいます)。簡単にいえば、特に何もせずに熟慮期間の3ヶ月が経過すれば、単純承認の効果が生じるということです。
法定単純承認とされる事由としては、上記の外に、相続人が相続財産の全部又は一部を処分した場合(同条1号)、限定承認又は相続放棄をした場合において、相続財産を隠匿・費消した場合、悪意で相続財産の目録に記載しなかった場合(これは限定承認の場合のみ問題となります)があります。
(2)相続放棄
相続放棄とは、相続人との関係で不確定な状態で生じていた相続の効果(財産に関する一切の権利義務の承継)を確定的に消滅させることをいいます。相続を放棄した場合、その相続人は、放棄の手続をした相続に関しては、最初から相続人にならなかったことになります(民法939条)。相続人の廃除や欠格事由とことなり、相続放棄をした場合は、放棄をした相続人の直系卑属が相続人になる代襲相続の適用はありません。
相続放棄は、相続開始地の家庭裁判所に申し立てなければなりませんので、相続人間の特定の相続人が「相続を放棄する」と主張しても、法律上の相続放棄にはなりません。この場合は、相続を放棄するとした相続人は遺産を相続しない(取得分ゼロ)との内容の遺産分割協議が成立したと評価する余地はあります。
相続を放棄した場合、その相続人は、はじめから相続人とならなかったものとみなされますが、この相続放棄により相続人になった者が相続財産を現に占有しているときは、相続人又は相続財産清算人に引き渡すまでの自己の財産におけるのと同一の注意義務をもってその財産の管理をしなければなりません(民法940条)。相続人全員が相続を放棄した場合は、相続財産管理人が選任されるまで管理義務を負うと考えられています。
上記の管理義務は、相続放棄によって、即時に管理を終了させると相続債権者や利害関係人に不都合が生じるからというのがその理由であり、その理由も一般論としては納得できるのですが、相続財産管理人が選任されるまで相続人が管理義務を負うというのは、若干厳しい面もあるように感じます。というのも、相続人の全員が放棄をする場合というのは、めぼしい遺産がないか、債務超過の場合が殆どです。他方で、相続財産管理人を選任して貰うには、相続財産管理人の選任を申し立てる人が予納金を裁判所につまないといけません。この予納金は、遺産があればそこから支払って貰えるのですが、遺産がない場合は、予納金の回収はできませんので実質的には申立をした方の負担ということになります。この点は理屈の処理と現実の処理がかみ合っていない部分であり、この様な点を踏まえて、「現に占有している財産」に限定して管理義務を課したものと考えられます。
(3)限定承認
限定承認とは、相続人が、その相続で得た財産の限度においてのみ被相続人の債務及び遺贈を弁済することを留保して相続を承認することをいいます(民法922条)。この制度は、相続財産の内容が複雑なため財産の清算をしないと債務超過になるかの見通しが立たない場合などに利用することを想定しています。
限定承認は、共同相続人全員で行う必要があるため、1人でも限定承認に賛成しない相続人がいると、限定承認をすることはできません。
限定承認の手続としては、熟慮期間内に被相続人の財産目録を作成した上で家庭裁判所に申述をする必要があります(民法924条)。
このように限定承認は、一見合理的な制度に見えますが実務ではあまり利用されておりません(私は一度も限定承認の申述手続をしたことはありません)。限定承認の利用を考えるようなケースの大半は債務超過の可能性が高く、相続人のかたが認識していない債務が存在する可能性を否定できないような事案であるため、手続的な負担が重い限定承認を敢えて選択するよりも安全策で相続放棄を選ぶことがその理由であると思われます。